【H29.5】吹奏楽団に入り、大学生活にも慣れてきた頃

こんにちは。本日二本目です。気が向いた時に書いておきます。

5月〜「吹奏楽団に入り、大学生活にも慣れてきた頃」

この頃の写真を見返すと、大学の友達との写真が少ない。おそらく、教数のメンバーが絶賛探り合い状態の時期であまり居心地がよくなかったのか、地元の友達や後輩に会うことが多かった。あまり、自分の居場所というものを大学においていなかった。振り返ると、大学生活後半にもなると自らの場所(部室、研究室、学科の控え等)を大学の中で確立できるが、一年次には難しいだろう。しかし、自分の居場所があると仲間と語り合うことが可能になり、生活が豊かになる。一年次の時にそのような場所を早い段階で作っておくことをオススメする。例えば、私が志和で行なっているつくればジュニア(フリースクール)ではお互いに干渉しすぎず、悩みがあれば悩みを打ち明けることのできる環境がある。本、木工器具、ボードゲーム、3Dプリンター等があり自分自身の可能性と創造性を高めることができる。

また、この頃には教育学部のオリキャン(通称Eキャンプ)があり、教育学部の新入生はほとんど毎日班活をしていた。先輩たちは後輩が欲しいといったものを引くほど全て用意していた。私は大学での友達作りのために参加はしていたが、吹奏楽の練習もあり、班活にはほとんど行っていない。しかし班長、班員には今でも感謝している。居心地の良い班だったことを覚えている。

一方、私は入団した吹奏楽団で徐々にコミュニティを形成していた。私は中高に引き続きパーカッションパートに所属した。当時の先輩は今でも声をかけてくれるし、同期には心を支えてもらった時期もある。今だからこそ入団してこの人たちに出会えてよかったと、心から思っている。
5月の末に吹奏楽団の毎年恒例の新歓キャンプがあった。それまでは練習もあまりなく、このキャンプで正式に自己紹介をする。特に覚えていることといえば、同じ部屋に男の私から見ても可愛い羽生結弦似の男子大学生がいたことと、ある3年生の先輩が深夜まで一年生の女子たちと円になって合コンみたいなことをしていたことである。羽生結弦似の男子大学生はポケモンが大好きで深夜まで厳選の方法を教えてくれたがあまり覚えていない。後に、彼が一人で韓国の危険な地域へ行ってしまう超面白いやつであることを知る。3年生の先輩はその時はスーパーヤバイ人かと思っていたが、今では一番お世話になっている先輩でもあり、憧れの先輩の一人である。

読んでくれてありがとうございます!




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